およぐ。

no title
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読みたかった本買えて嬉しいなー

| - | 21:44 | comments(0) | - | TOP戻るんか?
くっそー
悔しい
| - | 14:10 | comments(0) | - | TOP戻るんか?
えー
本番までもう2週間切ってるんだーって思うとあまりの時間の経過のはやさに驚かされるとともに焦りや緊張が生まれたりするわけですが気づけば今日はもうバレンタインデーということはもう2月も半ばということでそれはつまり本番までもう2週間切ってるんだーって思うとあまりの時間の経過のはやさに驚かされるとともに焦りや緊張が生まれたりするわけです


一昨日あんく見た
わかりにくかったけどぶっ飛んでいてでもふつうの日常の1コマを扱っているように感じてよかった
昨日ロロ見た
わかりづらくてもやもやしたところもあったけどやはり期待を裏切らず切なくて少しハッピーな気持ちにさせられるのでした


| - | 12:48 | comments(0) | - | TOP戻るんか?
no title
今日稽古終わって先輩とダーツして遊んだ。楽しかった。ダーツもっとうまくなりたい。

途中から演技の話になった。
9割方お話を聞いていた。
特に私の演技についての指摘。
いい話聞けたなと感じたので覚えてる限りを書く。





相手をうけること
長台詞などのブロックわけ
足りきってはいないができているところもある
もっと相手の言葉をほんとうに聞く
きっかけの台詞を待って自分の台詞を言うのではなく
台詞の中のどこに反応して何を感じて何故自分がこういう言葉を発したのか、動いたのかを考える

台詞の言い方をどう変えるのかではなく何故それを言うのかを考える

ひとこと言葉を発する際に考えていることがどれだけあるか。


私は「体」が圧倒的に弱い
声帯も上手に使えていない
無駄な動きが多い
声に息が入る
音がきちんと声帯に当たって声を出せていない
だから声も通らない
うわずったように聞こえる
もっと低く。
呪怨の「あああああ」って音をきちんと声にして出したみたいな。

呼吸がダメ
台詞を言うということは息を吐くということ
台詞を言う前に息を吸う傾向がある
そして息を吸い過ぎる傾向がある

たとえば、その台詞を言うために2しか吸わなくていい時でも私は10吸っている
しかし台詞を言う時は2の分だけ吐いている。8余る。その8に違和感を感じてしまう。


生理状態をきちんとつくる。
怒っている時は全身に力が入りドキドキする。これは恋をしている時も緊張している時も。
悲しいときは下を向きがち。そして体から力がぬけていく。
激しい感情の時はその生理状態のレベルをあげていけばいい。
怒り3のときは3レベル、怒り10のときは10レベル。


女子は無意識のうちに自分を可愛く見せようとする演技をしがち。

激しい大きな感情を出す時は人間はたいてい醜い。怒りの時でも悲しみの時でも。

その時に「可愛く見せよう」という意識が(例え無意識でも)はたらいていると上手に感情を発散することができなくなる。

私はまだフィルターがかかっている。

発散がきちんとできていない。

「体」が弱い。

自分の中だけで感情をつくらない。自分だけで動かない。
例えばそれまで相手にきちんと言葉をかけられていても、自分が動きだしたことで相手を無視してしまったら台詞まで相手を無視して宙に浮いてしまう。それでは意味がない。


あと間を取るのが下手。
間を取るのも相手の台詞を食うのも下手。
相手の台詞をほんとうに聞くことが大事。


欲求と制圧。

こう動きたい、言いたいと言う欲求が生まれる、そこには理由かある、しかし何らかの制圧が働いてその通りに動けなかった、言えなかった、そこにも理由がある。

その理由をていねいにおうこと。


恋をすると、演技がうまくなるというのは一理ある。


感情の振れ幅が大きくなってそれが演技でも活用できるから。

普段だと越えられないフィルターを越えられるようになる傾向あり。

大好きで大好きでたまらなくて相手も同じくらい自分のことを愛してくれてそれをお互いに許しあえているという恋の状態はとてもいいこと。

そんな恋愛をするのも大事。


単語レベルで感情の流れの変化を追う。相手に細かく反応する。アクションに対するリアクション。またリアクション。またリアクション。それが舞台の上で役を生きるということ。演技をするということ。役に真摯に向き合う。



日常次元の会話のような自然な演技をいい演技とする傾向があるがそれは違うのではないか?

何故なら舞台は作品であり芸術だから。

そういう類の自然な演技がいい演技というなら、それこそカフェとかで人間観察でもすればいいという話になってしまう。


また、演技をする時に役になりきるというのも、果たしてそれがいい演技なのか?という話になる。
映像なら、カメラというフィルターを通しているだけでそれは日常を越えた非現実的なものになるので、役になりきるという状態も成立しえる。
しかし舞台だと、生身の人間が演技をしている。たとえば役者Aが役の悲しいという気持ちに同調しきった時、そこにA自身は存在しないことになる。
同じ役を役者Bが演じて、Bもその役に同調しきったとしたら、そこにBは存在しない。
その時観客が見ることのできるAとBの差は「見た目」だけになる。それは悲しい。
演技をする際に、役者自身のスパイスを役に取り入れた方が、見ていておもしろいと思えるし、役者を使う側からしても、あなたの演じたこの役はとてもおもしろかったので、次もあなたに出てほしいです、ってなる。

演技をする時の自分自身と役のバランス。



観客は耳よりも目で得る情報量の方が圧倒的に多い。
だからやはり、体や生理状態は大事。
私に今一番足りないもの。



体や声を自在にコントロールできるようになること。
1回、一線を越えて発散できるようになること。




もっと演技するとはどういうことかを頭で考えなくちゃいけない!!!!


私の学年は演技が飛び抜けて上手いと言われている人が特にいない。全体的にそこそこいいレベル。それはそれでいいことだけど見ている側からしたらおもしろくない。
それぞれにそれぞれの欠点と課題がある。
それを克服できた時に他より頭ひとつ上の存在になるのではないか?評価を得られるのではないか?
これは、誰がうまくて誰が下手だっていうのをランク付けしてしまう人の視点。
教師はあまりこういうことはしないor出さない。

2年とか3年は、誰が演技上手い?って話になった時に、決まってでる人の名前がある。誰に聞いても。私も同意。
1年も、いると思うけど!


総括して思ったのは演技が上手になりたい。成長したい。それがないと演技を続けていくという気持ち自体が削がれてしまうから。






がんばりましょう。


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